***約束***
 
 
 
ある日ある小さな村に,十ニ・三歳ほどの少年が流れついた。
川を伝い。
少年は意識の無いまま同じ年頃の少女に助けられ,気がつくと居心地のいい布団
の中にいた
 
 
 
少年は目を覚ますと,真っ先にここはどこかと問いかけた。
少女が答えた地名は,自分の国からはかなり遠かったらしく,落胆している様子
が,少女にもはっきりと分かった。
「どちらにしてもあなたの傷が癒えてからでないと,出発はできないわ。
暫くは国の事を忘れてゆっくりと休養しましょ」
少女は優しく言った。
そして,三日三晩ほとんど休まず,看病し続けた。
その間,お礼のつもりなのか,勝経[マサツネ]と名乗った少年は,様々な話を翰[
フミ]という名の少女に話して聞かせた。
そのほとんどが,自国に伝わる物語であったが,自分がどうしてこんなところま
で ―しかも川を流れて― やって来たのかという事も,少しばかりではあるが,
話してくれた。
勝経はなんと現皇帝の息子であり,試練のために,意識の無いまま川流しにされ
たと言うのだ。
翰はまさかと思い,何かあるのではと考えつつも,結局何も言わず,看病し続け
た。
そんな感じで勝経が流れついてから三日後の朝,勝経は自分の体が自由に動くの
を確認し,翰に,お互い家の中にこもりきりだ。久しぶりに外の空気でも吸いに
いこうではないか,と声をかけた。
二人は広い野原に出ると大きく伸びをした。
暫くぼうっとしていると,翰が勝経に向き直って言った。
「私の刀の相手をして欲しい」
勝経は突然のその言葉に驚いた。
「まさか,おなご相手にできるわけが…」
しかし翰の真剣さが通じたのか“木刀ならば”と許可を出した。
 
 
 
お互いに向き合い,静かに礼を交すと,二人ともなれた様子で間合いを取り始め
た。
しかしそれも束の間,翰の木刀が空を切り裂き,勝経めがけて降り下ろされた。
勝経も負けじと木刀を横になぎはらい,翰の木刀を上へと返した。
「かなり自信がある様だから上手いんだろうとは思ったが,かなりの腕前だ。そ
こらの男どもなど目じゃないだろう」
「本当にそう思う?なら私が勝経の城に直属の武士として志願したら,受け入れ
てくれるかしら」
「武士に?父上がおなごでも良いと許可すれば実力次第では…しかし何でまた,
か弱いおなごが武士などに」
バシ,バシと激しく木刀の打ち合う音が木霊する中,勝経が不思議そうに尋ねた。
「私は昔から武士に興味があって,密かに自分で彫り上げた木刀で練習を積んで
いたの。
だけど,武士になろうということは全く考えて無くて,決めたのは,ほんの昨日
の事よ。
でも私の決意は固いわ。
私は城の直属のへ武士になって,常に勝経のそばで,勝経のことを,自分の命を
懸けて守ってゆくわ」
翰が言うと,勝経は複雑な表情を浮かべて言った。
「何だか嬉しい様な,悲しい様な…」
「もし戦が起これば翰も駆り出されるだろう。
私について来てくれると言ってくれるのは嬉しいが,そうなった場合,私は翰を
送るのがどれほど悲しいことか」
翰は勝経を軽く睨んだ。
「私だって,今同じ気持ちなのよ。
いくら昨日,私にまた来ると言ってくれたからって,簡単に不安は消えないわ。
もしかしたら,もう会う事なんて無いんじゃないかって。
だって,何かすごく,嫌な予感がするんだもの」
翰はぼろぼろと涙をこぼし,その場に座り込んだ。
さっきまで響いていた音たちが消え,周りが一気にしんとなる。
勝経が優しく翰を包みこんだ。
「大丈夫。きちんとしたお礼もしていないし,このままおさらば,なんて事はし
ないよ。
ちゃんと,会いに来る。
大丈夫だ」
勝経は,ときたま見せるにこやかな笑みを翰に向け,静かに言った。
 
 
翰はそれからもう一度だけ,必ずまた来てねと約束してもらい,
勝経に,長距離を歩くのはさぞきびしかろうと思って,あらかじめ両親に了承を
得た馬一匹と,昨晩寝る間をおしんで作った握り飯を手渡した。
勝経は,なるべく早く戻らねばと,その夕刻,出発した。
 
 
 
「父上。ただ今戻りました」
勝経がひざまずき,恭しく言った。
目の前にはがっしりとした体格の,大きな男が立っていた。
そしてその隣りには,見知らぬ二十五前後の男が,居心地良さそうに,座ってい
た。
「何故戻って来た」
大男が聞く。
「何故と言われましても」
勝経が優雅に座る知らない男から目を離し,大男を見上げて言った。
男はさげずむ様に言う。
「お前は私の実の子では無い。
しかしその事に気付いた時,自分から求めて戦に出た息子の方は,重傷を負った
との噂は流れども,生きているかは分からない状況にあった。
だから,あえて血の繋がらないお前を,自分の子として,育ててきたのだ。
しかし約一か月前,傷が癒えた息子がこのように私の元へと帰ってきたのだ」
大男の隣に座っていた男がからかう様に,勝経に向けて手を振った。
しかし勝経は相手にしなかった。
大男がなおも話を続ける。
「そうなると,お前はもう必要ない。
本来ならすぐに打ち首にしているところだったが,しかし数年間親子として過ご
して来たのだ。
私もさすがにそこまで腐った人間では無い。
だからその数年間のよしみで,川流しにとどめてやったのだ。
しかしお前は愚かな事に,私の優しさをあだにして戻って来た」
大男が刀に手をかける。
若い男は涼しそうな顔で大男に手を貸すでも無く,もちろん勝経を助けるわけで
も無く,そこに座っていた。
勝経は刀に手を伸ばそうとするが,川流しにされた時に取られたであろう事を思い
出す。
大男が刀を必要以上に大きく振りかぶらせ,叫ぶように言った。
「わざわざ戻ってなんぞ来なければ,どこでも好きな土地で悠々と暮らしていけ
たろうにっ」
勝経は翰の事を思い出した。
翰の姿を思い浮かべると,いつも笑顔がこぼれ落ちる。
しかし,今回は,この思い出は,走馬灯というものなのか
私は,もう翰に,会う事は,出来ないのか
私は,大嘘つきだ
たった一つの,守るべき約束も,守れない―――
 
城の中にざしゅっと大きな,鈍い音が,鳴り響いた...
 
 
 
 
 
勝経が村を出て行ってから約一か月後,
勝経は約束通り翰の元へとやって来た。
勝経はいつもの笑顔でにこやかに笑いかける。
しかし,勝経はもう,翰の知っている勝経では無かった。
びしょ濡れの姿で,にこやかに笑う勝経の首だけが,
そこに
いた。