ぐうたら探偵、田村正和
「空気中に最も多く含まれる成分は?」
「窒素」
「太陽の表面、光球部分で周囲よりも温度が低い部分をなんと言う?」
「黒点」
「せんべいの一種であり、京都で有名な和菓子は何?」
「八橋」
「独眼竜で知られる戦国時代の武将は?答えは苗字のみ」
「伊達」
「しかみ像で知られる武将は徳川何?」
「家康」
「天鼠、飛鼠などとも呼ばれる動物は?」
「蝙蝠。……いい加減にしてください」
だらりとデスクに体をへばりつかせて薄っぺらい紙を読み上げている、何日着回したかわからない服を着た無精ひげの汚らしい男に対し、髪をぴっちりと整え、いかにも几帳面そうな眼鏡の女性がイライラと言った。
「質問するのを?」
「クロスワード自体をです」
女性が男性を睨みつけて言う。それに対し、男性は不服そうに頬を膨らませた。四十二歳と言う実年齢から考えても、その外見から考えても、かなり不釣合いな動作だった。大人として、恥ずかしい。
そんな男の名前は田村正和。普段はだらけているが、何故だか警察から公式に捜査協力を頼まれるくらいに高い推理能力があるらしい。一応、探偵。
女性はわざとらしくため息をつき、ヒールの音を響かせながらつかつかと田村のもとに近づいた。
「公式の捜査依頼書です」
そう言って田村の鼻先に書類を突きつける。田村は書類を見ようともせず、デスクに頭を突っ伏した。
「紀美ちゃーん」
紀美と呼ばれた女性は書類を鞄にしまい、田村を見下ろした。
「なんですか」
「アメリカの首都って何処かなあ」
「いっぺん殴っていいですか」
「警察の人間として問題だよね」
「じゃあ捜査妨害で訴えます」
「……そもそもさ」
田村が顔を上げる。
「一般人に事件を推理してもらうって、一般人の捜査協力の範囲を超えてるんじゃないの?むしろ一般人に事件の情報ばんばか流してる君たちのが裁判沙汰になると大変でしょ」
田村がもっともらしい言い分で言い返すが、紀美は全く動じずに、たった一言、ポツリと呟いた。
「事件」
「え?」
田村が紀美を見上げ、聞き返す。
「事件、二度とまわしませんよ」
紀美は冷たく言い放った。田村が顔をぽかんとさせる。
「……え?」
田村がやはり顔をぽかんとさせ、更に聞き返した。
「今後一切、捜査協力の依頼をしません、と言っています」
紀美はきっぱりと言った。田村がしどろもどろに反発する。
「……でも僕が居ないと上が困るんじゃ……」
「わたしが責任を持って新しい優れた探偵を見つけてきます」
「うわぁ……何だか言葉が痛々しい…」
田村ががっくりとうなだれる。
「別にさあ、事件を解きたくないわけじゃないんだよ。……いや、説きたくないんだな、今は」
田村はぶつくさ言って、手に握っていた薄い紙切れを未練たらたらに手放した。
「事件解いたら紀美ちゃんいつもすぐに帰っちゃうしさ。紀美ちゃんが居なくなったら誰がクロスワードを解くのさ」
「辞書でもなんでも使って自分で解けばいいでしょう」
「辞書を引こうにも全く検討がつかないんだもん」
「……はあ」
紀美は大きなため息をついた。
「……紀美ちゃんてさ、物凄くあからさまだよね?何だか僕傷ついちゃうな」
「わざとです。貴方にはこれくらいの対応をしないとやってけません」
「そんなこと無いと思うんだけどなあ……」
「……とにかく」
紀美は声を大きくして言う。
「この事件、早く解いてくれませんか?早く帰りたいんですけど」
「じゃあさ、アメリカの―――」
がこん。
紀美がついに絶えられなくなって机をける。しかしこんなのはいつものことで、机にはすでに何度か蹴られた後があり、うち数箇所は軽く内側にへこんでいた。
「早く帰りたいんですけど」
紀美がもう一度、先程よりも強い口調で言った。
「早く帰りたいだけじゃん!警察云々関係ないじゃんもう!」
田村がデスクから体を離し、思わず叫んだ。紀美はそんな田村を見下したような目で見据える。
「とにかく一刻も早く貴方のもとから離れたいんです」
「うわ、それ別れ際のカップルとかが言うセリフだよ」
田村がまたデスクに体をへばりつかせ、ぼそりと言った。
「……田村さん」
「…………はい」
紀美が本気で怒りを爆発させそうだったので、田村はしぶしぶと数時間前からデスクに放置されていた捜査資料に目をやった。しかし一通り目を通しただけで、机の上にばさりと資料を伏せてしまう。
「田村さん」
「わかってるよ」
紀美がまた怒り出しそうだったので、田村が慌ててそれを静止した。紀美が訝しげに田村を見やる。
「解けたんだよ」
田村が言った。
「その事件がですか?」
「そうだよ。それ以外に何があるのさ」
先ほどまで脱線してばかりだったはずの田村は、さも当たり前のようにそう言った。
「捜査もせずに解決だなんて……」
紀美は驚きながら言い、机に伏せられた資料を持ち上げて、ぺらぺらとめくっていく。
「聞き込みから得た情報などの類は一切載せていないって言うのに……」
「この資料だけで充分。……取り敢えず事件の流れを追ってみようかな」
「事件概要、わたしが読み上げましょうか?」
紀美が手に持った資料に目をやり、言う。しかし田村は首を横に振る。
「いいよ、覚えてるから」
「そうですか」
それだけの記憶力があるのならクロスワードくらい簡単に解けそうなものだが、田村の脳は不必要に複雑な構造をしているらしい。紀美はデスクにだらりと横たわる田村に、哀れみの目を向けた。
昨日二月二十六日火曜日、午後七時二十一分(推定)、事件発生。
場所は千葉市内の某所。二階建て家屋、楓家二階の一室。
当事者は最大の被害者である故人、楓香奈子(二十一歳)とその恋人、後藤清己(二十三歳)。事件当時楓香奈子の両親は旅行中で神戸に滞在。
第一発見者は後藤清己。
トイレに行っていた後藤清己が楓香奈子の叫び声に気付き、慌てて部屋に戻ると楓加奈子は既に刺殺されていた。凶器は刃渡り三十センチ程の家庭包丁(科学捜査班推定)とみられている。凶器はまだ発見されていない。
犯人はフードつきの黒いコートに身を包んでいた。犯人は部屋を物色している最中だったが、後藤清己の登場に焦ったのか、そばにあった椅子を振り回して後藤清己を遠ざけた後にそのままの勢いで窓を割り、そこから逃走をはかる。二階からの決死のダイブだったが、下がガーデニング用のやわらかい土だったため、おそらくほとんど無傷で逃亡に成功。
庭の地面には犯人の靴跡(サイズは二五・五)が残されていた。(写真参照)
午後七時二十四分、警察に通報が入る。
午後七時三十六分、通報から十二分後、警察が到着する。
部屋の中には胸から大量の血をだして倒れる楓加奈子と、それを泣きながら抱きしめる血だらけの後藤清己が居た。
侵入口は鍵が壊されていた事から玄関と推定。指紋はいたるところにふき取られた跡があり、犯人のものと思われる指紋は得られなかった。
「確かこんな感じだったよね」
「ええ……」
ほとんど資料どおりに、田村は事件の概要を話しきった。
「私はてっきり、明日以降から黒いフードの男を探しに出かけるものと思っていたのですが」
「あははー。なら良かったね。明日もきっとのんびり出来るよ」
田村はお気楽に笑って言った。
「取り敢えず犯人は……この人だね、後藤清己。黒いコートは関係ないよ。全部でっち上げだろうから」
「……でっちあげ?」
「そうそう。犯人は第一発見者。まずは第一発見者を疑え…これは基本中の基本だね」
「それはそうですけど、仮に後藤清己が犯人だとしたら凶器は何処に隠したんですか。事件現場はくまなく探しましたが、凶器は出てこなかったんですよ」
「まあそこはあくまで予想なんだけどさ」
「何ですか」
「その、楓さん家の近くって、灯油とか焼き芋のトラックとかまわってない?」
「それは調べてないので分かりませんが……それが何か?」
紀美が顔をしかめる。
「もし定期的にまわっているようなら、そのトラックに凶器を投げ込めばいいんじゃないかなって」
田村はやけに簡単そうに言った。
「そうだとしたら、すぐ落ちて道端で発見されています」
「新聞紙か何かに包んで両面テープでも巻けば、トラックの上部に張り付いてしばらくは剥がれないと思うけど」
「……確認を取ってみます」
「うん」
田村が頷いた。しかし紀美はまだ犯人が黒いコートの男だと言う線が完全に消えたとは思っていないようだった。
「けれど、それだけでは証拠不十分です。状況証拠だとしても弱すぎます」
「じゃあさ、今度は資料に付いていた写真を見てよ」
田村が、紀美の持っている捜査資料を指差していった。
「これですか?」
紀美が捜査資料をめくり、写真が貼られたページを一番上にする。
写真は二枚あった。一枚はいくつかついた足跡全てが写されており、もう一枚は最もはっきり残った足跡のみををアップにして、メジャーと共に写されていた。
「そうそれ。何が写ってる?」
「……庭に残された足跡ですが」
「全体図の方を良く見てくれるかな」
「……足跡しか写っていませんが」
「だよね」
「一体何がしたいんですか」
紀美が写真から顔を離し、めくってあった紙を元に戻してしまう。
「あー、まってまって」
田村が慌てて言い、もはやデスクと一体化しかけている自分の体を多少浮かせてから、紀美の手に握られている捜査資料をめくって、また写真のページを開かせた。
「足跡しか写ってないのが、疑問なんだよ」
「はい?」
「犯人は、一階ならともかく二階から飛び降りたんだよね?それなら、どんなに運動能力があったって、手とかお尻とか、何処かしら地面につけてしまうものなんじゃないかなあ」
「……確かに」
どうやら紀美は納得したらしかった。要するに靴跡は、事件が起こる前に予めつけられた可能性が高いのだ。
「それから、指紋。ふき取られていて犯人のものと思われる指紋は見当たらなかった……ってことは、当然窓を割るのに使われた椅子や、乗り出した時に触れたはずの窓付近の指紋もふき取られていたと言うわけだよね?」
「そうですが」
「それも、妙じゃないかなあ」
「妙ですか?」
「うん。だって、後藤清己に見つかって、慌てて逃走したんだよね?それも開ければ済む窓をわざわざ割ってしまうくらいに動揺して」
「そうなのでしょうね、おそらく。事情聴取の際、後藤清己は、窓を割ったのは自分を追ってこさせないよう威嚇する目的もあったんじゃないか、と言っていましたが」
「まあどっちでも良いんだけどさ」
田村は本当にどうでもよさそうに言った。
「とにかく急いで逃げようって人間が、物色中だった棚なんかはともかくとして、椅子や窓付近まで御丁寧に指紋をふき取って行くと思う?しかも指紋の方はそこまで神経質にふき取って行ったのに、靴跡は消そうともせずはっきり残していくなんてさ。まあ靴跡なんてたいした証拠にならないと思ったんだろう、って言われたらそこまでだけど」
「……指紋をふき取ったのは、犯人の指紋が一つもないと怪しまれると思ったから、というわけですか?」
「多分ね。それに第三者が居るっていうのを強調させたかったんじゃないかな。そうじゃなかったら犯人が顔見知りでその人を庇っているって線も考えられるけど、そうしたら庭に靴跡以外の跡が残っていると思うからねー」
「彼女である楓香奈子さんが亡くなって、あんなに悲しんでいたのに……」
紀美が呆然と言った。田村がそれに対し、あっさりと言う。
「包丁を抜いた時に、かなりの血を浴びただろうからね。それをごまかすために、ずっと抱きしめてたんだろーと思うよ」
「……嫌なこと言いますね」
紀美が恨みがましい目で見やる。
「そう言われてもさあ……。だって事実だろうし」
「それはそうなんでしょうけど……。とにかく、トラックの件については調べてみます」
紀美は気を取り直すように言った。
「うん。早めに見つけたほうがいいよ。上手くすれば指紋が残っているかもしれないし」
「指紋がですか?」
「新聞紙か両面テープのどっちかについているかもね。後藤清己も凶器は中々見つからないだろう、って高を括っているだろうし、雨さえ降らなければまあ」
「……」
確か明日の天気予報は、雨だった。
「……今から行ってきます」
紀美はたいそう嫌そうに言った。
「がんばれー」
関係のない田村はひらひらと手を振った。
「今日は早く帰りたかったのに……」
「デート?」
「違います、放っておいてください」
紀美は捜査資料を乱雑に鞄にしまいこみながら言った。
「じゃあさ、紀美ちゃん」
「何ですか」
紀美が田村を見やる。
「アメリカの首都を教えてよ」
「……」
「き、み、ちゃーん」
「ワシントンかニューヨーク、どっちでしょう」
「え、質問に質問で返すとか邪道じゃない?」
「後は知りません、勝手にやっててください」
「あ、わかった。ニューヨーク、でしょ?」
「……さようなら」
紀美はつかつかと出口に向かっていく。
「あ、紀美ちゃん」
田村が紀美を呼び止める。
「何ですか」
紀美がこの上なく嫌そうに振り返る。
「はがきがないから買ってきてくれないかなあ。クロスワードの答えを送れないんだよー」
デスクに体をへばりつかせたまま、田村がぼやくように言った。
「……報酬で良いですか?」
「あー、うん。報酬で払っといて」
「わかりました」
「ありがとー」
扉がばたんと閉まり、紀美が帰っていく。田村はそちらに目もくれず、クロスワードに先ほどの答えを書き込もうとしていた。
「あれ、マスが足りないよ。……ってことはワシントン?……っていうかもう答えでてるじゃん!」
文字同士を合わせれば最終的な答えになるはずの、aからfまでのマス目は既に埋まっていた。
「やった、終わったあ。……テレビ当たるかな」
今回のクロスワードの懸賞品は液晶テレビ。今田村の元にあるテレビは相当な年代物なので、新しいテレビがもらえるのならとても嬉しい。
「後は紀美ちゃんがはがきを買ってくるのを待って、それに書いて応募するだけだ」
そこではたと気付く。
「そう言えば食料が切れてるの忘れてたよ……。紀美ちゃんに一緒に頼んどけば良かった……。行くの、面倒くさいなあ」
そんなことをだらだらと呟き、残り三個しかないカップめんの一つを食べて、就寝する。そして次の日の朝。
「……なにこれ。地味な嫌がらせ?」
昨日の事件の報酬がポストに入っているだろうと思ってのそのそ外に出てきてみると、ポストの中身は白い物体で埋め尽くされていた。ポストの扉を開けるとばらばらと中身が落ちてくる。落ちてきたのはすべて真新しいはがきだった。
「紀美ちゃん……?」
落ちたはがきの山の中に薄い紙切れがまぎれているのに気が付き、それを拾う。紙切れには知的そうな字で一言。
「報酬三万円」
「……ええ!」
田村は驚いてはがきの山を見た。
「ちょっと待って、これもしかして三万円分全部使い果たしたの?!六百枚もあるの、このはがき!?」
確かに報酬で払っといてとは言ったけれど。言いましたけれど。
「なんて酷い嫌がらせを……食費はどうするんだよ、飢え死にしちゃうって!」
田村ははがきの山の前に立ち、嘆いた。そして叫ぶ。
「紀美ちゃんのばかあーーー!!!」
ぐうたら探偵、田村正和 おわり