二 年 越 し の レ ク イ エ ム

 

 

―――この人形の持ち主を探してください。―――

 二十代くらいであろうか、やせた黒髪の男が不信そうに声の主を見返した。人形を差し出す男の腕から頭にかけて、ゆっくりと視線を上げていく。見上げた先には人当たりのよさそうな笑顔があり、その顔はどれだけ凝視されようとも全く表情を崩さなかった。

―――あやしい。―――

 まず始めに浮かんだのが、その一言だった。

 

 

 

「たいやき六個、くださいな」

夢村(ゆめむら)京斗(けいと)はにこにこと嬉しそうにして言った。

「京斗君は本当にたいやきが好きだねぇ」

 屋台のおばちゃんが(ほが)らかに言う。

「はい!大好きです」

「ようし、今日は機嫌が良いから一つおまけしてあげちゃう!」

 情けない話すでに財布は空に近く、なけなしのお金で買えるだけのたいやきを手に入れたのだが、今日はさらにおまけまでしてもらって予定より一つ多く手に入れることができた。

 ほんの少し重さの増したまだ暖かい紙袋を腕に今にでもスキップして帰りたい気分だったが、大通りでたいやきを抱えてスキップをする男なんて怪しすぎると思い、何とか(こら)えて帰途に着く。そんな中、夢村が大通りから小道に入ろうとすると、十数匹に及ぶ様々な種類の猫たちが足元へまとわりついてきた。

「おはよう、みんな」

 そう言ってがさごそと紙袋をあさり、先程のたいやきを一つ取り出して放り投げた。

 猫たちは瞬時にそれに反応し、たいやきに飛びついていく。しかし全ての猫がたいやきにありつける訳もなく、取り遅れた猫たちが夢村のズボンの(すそ)をかんだり手で引っかいたりして新たに放り投げろと催促しだす。

「うーん…しょうがないなあ」

 困ったように頭を()きながらも新しいたいやきを地面に落とす。それでもあぶれてしまった猫たちが次を催促する。しまいには食べ終わった猫たちがおかわりを要求したりして、手元のたいやきは次々と減っていく。

「月に一度しか買えない貴重なたいやきなんだぞ。今度安いパンでも買ってくるからそれで勘弁してくれよ」

 そう言いながらもついついおかわりを与えてしまい、もう手元には一つしか残っていない。夢村は紙袋の口をぎゅっと握り、頭上に持ち上げる。

「さすがにコレはあげられません!」

 そう言って小道に駆け込みくねくねと何度も道を曲がる。最初のうちは猫がしつこく付きまとっていたが、暫くすると諦めてそれぞれの生活へと戻っていった。猫が居なくなったのを確かめて残った最後のたいやきを頬張りながら、家々に押しやられて窮屈そうな道をゆっくり歩く。複雑に入り組んだこの道の中に、夢村の家…もとい探偵所がある。

 そう。実はこの頼りなさげな男、夢村京斗は探偵だったのだ。

 父が創立した夢村探偵所は、一階が住居で二階が事務所となっている。この辺りはかろうじて家が立っているものの、実際に人が住んでいる家はあまり無いし、大体夢村の家が存在していることすら認知されているか怪しいところではあるが、夢村はこの場所を中々に気に入っていた。ただ一つ不満があるとすれば、探偵所の数十センチ先には隣の家があって、夢村が窓の外をどうがんばって覗いてみようとも、そこから見えるものは押しやるような赤茶色の壁と細い道、そしてわずかに見えるちっぽけな空だけだということだ。この周辺は屋根が低い家が多くて見晴らしが良いはずなのに、その家は完全に夢村の視界を遮っている。

「ん?」

 家の前に人影が見え、夢村は用心深く近づいた。別に探偵風を吹かしているわけではない。そして自慢にすらならないのだが、こんな小道に普段はほとんど人が入ってこないし、それゆえ仕事も数少ない常連もしくはその人から紹介を受けた人たちくらいのもので、夢村に対する客はめったに来ることがない。

 大体、夢村の家まではいくつも小道を抜けなくてはならないので、どんなに記憶力に自信がある人でも道を覚えるのには困難を要し、夢村の家に来る者は皆最初に電話でアポイントメントをとってから、夢村に大通りまで迎えに来てもらう、というのが通常なのだ。

 というより、今まで自力で家まで来たものは一人として見たことが無い。

 それなのに、目の前には人が居る。

 夢村が近づくと家の前にたたずんでいた中年の男がそれに気付いて会釈した。三十代後半くらいだろうか?少々肉付きの良いその男は気持ちの良い笑顔を向け、手に持つ紙袋を差し出しながら言った。

「初めまして。私木戸(きど)宏平(こうへい)と申します。あ、よければコレをどうぞ」

 夢村は差し出された袋を見ると、途端に表情を明るくさせた。袋でわかる。中身は先程ほとんどを猫にあげてしまったあのたいやきだ。

 夢村は二階の事務所へ宏平を招き入れると、仕事机に落ち着いた。そして机上のちらばった資料を手でざっとよけ、そこにたいやきの袋をどさりと置くと、木戸にかまわず真っ先にたいやきにかぶりついた。

紙袋の中では大量のたいやきが湯気を立てている。夢村にはまるで早く食べてくれ≠ニたいやきが躍りながら催促しているようにしか見えなかった。

 もはや宏平の存在は頭の中から消え去り、夢村はしばらくたいやきに夢中になっていた。しかし、不意に目の前に何かが差し出される。それは全長四十センチ程度であろうか、茶色い毛糸の髪とくりっとして丸い目をした少女の古びた人形だった。夢村はたいやきを口に運ぶのを止め、完全に動作を停止した。口の中にはまだたいやきが残っているが、気にしない。

「この人形の持ち主を探してください」

 木戸が言った。夢村は相変わらずたいやきを口に残したまま、机越しに立っている木戸を見上げた。

夢村の頭にはいくつかの疑問が浮かぶ。

まず一点目、差し出された人形は所々ほつれたり破れたりしている上に随分と黄ばんでいて、それが誰かの落し物であるとするならば、持ち主を探すほど大切なものには見えない。

 二点目。先程とは逆で、探したい人物の持っていた物がそれとするならば、「人形の持ち主を探してください」という言い回しはいやに不自然である。大体、此処が探偵所と知っている上で平然と家の前に立っていたと言うのも気にかかる。先にも言ったとおり、この事務所は知名度が低い上に立地条件も悪く、誰一人としてここに自力でやってきた者は居ないのだ。

 しかし多少の疑問点が思い浮かぶにしろ、このまま追い返すわけにはいかない。どんなに怪しげな人でもお客はお客だ、依頼内容も聞かずに帰すなんてそんな薄情なことは出来ないし、それは夢村のポリシーに反する。

 …とか、そんなもっともらしい理由を述べてみたが、本当のところの理由はそうじゃない。実に単純なことだ。要するに、夢村の腹の中に入っているものが重要なのだ。

 たいやき。宏平の買ってきた、たいやき。そう、宏平の存在すらも忘れ無我夢中でかぶりついた、あのたいやきだ。たいやきを食べたいだけ食べておいて、帰れも何もあったもんじゃない。

 これは…策略か?

 夢村はたいやきをごくりと飲み込んだ。

「…人形の持ち主とはどのようなご関係ですか?」

 夢村はティッシュペーパーで軽く口を拭きながら、食事を中断された不満と相手を訝しむ思いの入り混じった、探るような目つきで問いた。

「親子です。この人形の持ち主…私の娘が二年前から行方不明になっておりまして、是非とも探していただきたいのです」

 宏平は言うが、その言葉はますます夢村を疑わせた。

 行方不明者の捜索だったら警察に任せればいいし、警察の対応が不満で探偵に頼みたいと言うのなら、もっと大手の探偵所に行くべきなんじゃないだろうか?誰かの紹介を受けてやって来たと言う訳では無さそうだし、怪しいことこの上ない。そういえば先ほどからちらほら見受けられる人のよさそうな笑みも何処となく違和感があるように思われる。

夢村は視線を机上に落とし、紙袋の中で踊り続けるたいやきの群れを見つめた。…やはり、欲に負けて思いっきりたいやきを食べてしまった以上、たいした理由もないのに依頼を断るわけにはいかないだろう。

 それに、宏平は少しばかり怪しい点があると言っても危険な人物には見えない。特に危害を加えられることは無いだろうし、依頼を受けて、その所為で夢村に何か損害が起こるとはどうも思えなかった。

 …しかし、宏平は狙ってそうした訳ではないとは思うのだが、たいやきによって、夢村がまんまとはめられてしまった感があるのは否めない。

「…わかりました。引き受けましょう」

 夢村は暫く考えた後、そう答えた。

 強ちさっきのポリシーだの何だのの話は間違っていないわけで、結局のところ夢村は、(たいやきの話は置いておいても)依頼主を無下に扱うことなど出来ない性質だったのだ。

 

その後、話の続きはたいやきを全て食べ終えた後に行ったので、不満げな顔を前面に押し出すこともなく真面目に話を聞くことができた。

 取りあえずは宏平から行方不明だという娘について詳しい話を聞いた。そして、その後は予想される報酬額の半分を前金としてもらい、後日何かの結果が出次第、ここでまた会う約束をした。

依頼人、木戸宏平の娘の名前は亜利紗(ありさ)。宏平があまりにも怪しく見えたことから念のため戸籍を確認すると、意外にもあっさりと捜し人は見つかった。それはあまりにも早い発見で、またあまりにも驚くべき事実だった。

木戸亜利紗は、死んでいた。

行方不明などではなかったのだ。当時五歳だった亜利紗は車にはねられて事故死。運転手のよそ見が原因だったらしい。

 戸籍で確認した結果、木戸宏平と亜利紗が親子であるということは確かであった。ならば、当然事故のことは宏平も知っているはずである。一応事故を起こした本人とも話をしてみたが、直接宏平に謝りに行ったと言うのだから知らないはずは無い。

では何故、亜利紗の捜索をわざわざ依頼しに来たのか。夢村はそれを探るため、宏平についても調べてみることにした。

 夢村は宏平の実家を調べ、直ちにそこに向かった。それほど遠い所ではなく、電車で小一時間の距離に彼の実家は存在した。

「すみません、木戸宏平さんについて伺いたいのですが…」

 夢村が言うと、応答した公平の母らしき人物はあからさまに眉をしかめた。

「あ、夢村探偵所から来た夢村京斗です。実は先日宏平さんから亜利紗ちゃんの捜索依頼を受けまして…」

 そこまで言うと宏平の母公子(きみこ)は目を見開き、戸惑いながらも言った。

「亜利紗は…いません」

「ええ、戸籍を見て直ぐにわかりました。宏平さんもわかっているはずです。それなのにどうして宏平さんが捜索依頼をしたのか、僕はそれが知りたいんです」

 夢村が静かに言うと、公子は(うなず)き、ゆっくりと話し始めた。

勿論(もちろん)あの子、宏平も亜利紗のことは知っています。しかし、どうしても認めようとしないんです。

葬儀(そうぎ)の時にも顔を出さないで『亜利紗は死んでなんかいない、絶対戻ってくるんだ』と、そう言い張っていました。

最初のうちはただの強がりでしかありませんでしたし、周りもかわいそうがって『そうだね、きっと戻ってくるよ』などと声をかけていましたら、しまいには本当に行方不明なんだと信じ込んでしまったんです」

「では、墓参りなんかも…?」

「一度も行っておりません。でも、宏平ばかりを責めないでやってください。あの子はかわいそうな子なんです。

嫁は育児がそれほど辛かったのかノイローゼになってしまい、亜利紗が生まれてから二ヶ月足らずで黙って出て行ったきり戻って来ませんし、あの子にとって唯一(ゆいいつ)心の支えだった亜利紗も、二年前に居なくなってしまいました。その悲しみがどれほどのものだったかは計り知れません」

 公子はぼろぼろと涙を流して訴える。

 これは後から聞いた話になるが、宏平の妻がノイローゼにかかったとき、宏平やその母と父たちがなんとかしようと試みたが結果は空しく、結局どうにも出来なかったらしい。しかし宏平はその後も何とか平常心を保って生活していたらしいので、今回の件では嫁に関する過去はあまり深く関っていないと言って良いだろう。

夢村は涙を流す公子を前にして、何か言おうと言葉を探るが何一つ浮かんでくるものは無く、結局何も言葉をかけることが出来なかった。

夢村は公子が泣き止むまで、ただじっと、其処(そこ)に立っていた。

 

 

 

夢村は宏平の実家を去ると、次は亜利紗の墓へ向かった。

 亜利紗の墓の前ではちょうど、数人の三十代前後の女性たちが花を飾ったりしていて、夢村はその人たちの話も聞くことにした。先程のように不信感を抱かせないため、今度はきちんと自分の身分を真っ先に説明し、本題に入る。

「宏平さんについてお聞きしたいのですが…」

 さすが良い年をした女性の方たちで、こちらが質問をしなくても次へ次へと勝手に話を進めてくれる。

 そういうのが嫌だと言う人もいるが、夢村の場合口を開かなくても情報を分けてくれるのでとても楽だなあと思ってしまう。ただ、時間が無いときにはイライラの原因以外の何物でもないとも思っていた。

 運が良いことに今日はそれほど時間に追われていなかったので、女性方の気が済むまで話を聞いていた。話の内容はほとんど覚えていなかったが、ただ一つだけ覚えている言葉がある。

一人の女性が不意に、

「…でも、お父さんが一度も会いに来てくれないなんて、亜利紗ちゃんもかわいそうよねえ…」

 かわいそう。そう、言ったのだ。

「かわいそう…」

 夢村は墓を見て呟いた。心なしか空が暗く、亜利紗ちゃんの墓も他の墓より沈んだ雰囲気を帯びている気がした。

―――確かに、かわいそうだ。―――

 夢村は墓の前で静かに手を合わせ、目を閉じた。

 夢村には死んだ者がどうなるのか、そんなことは霊能力者でもあるまいし、到底わかりようも無かったが、もし自分が死んだとき、自分の最も信頼していた人物が墓参りに来てくれないのは悲しいのだろうと思う。

自分の死を信じてくれないのはそれだけ愛されていたと言う証拠かもしれない。だけどそれでも、その死を信じないあまり、自分のところにその人が会いに来てくれないというのは、とても辛いことなんだろうと思う。だから、きっと亜利紗ちゃんも辛いのではないだろうか。寂しいのではないだろうか。

 死んだ人間に何かを感じる心があるかどうかなんて知らないけれど、それでもやっぱり悲しいことだと思うから。宏平さんにとっても、亜利紗ちゃんにとっても、辛いことだと思うから。

夢村はゆっくりと目を開けて墓を見据える。

どうにかして、二人を会わせてあげたいと思う。

 

 

 

「お久しぶりです夢村さん」

宏平が笑顔で挨拶をする。初めて会ったとき、宏平を怪しみ、その笑顔は違和感があると感じていたが、今ならそれがどうしてなのか容易に理解できた。

 これは夢村をだます為の作り笑いではなく、自分をだます為の作り笑いだったのだ。亜利紗ちゃんがまだ生きていると信じ込むための、偽りの笑顔。今まで「亜利紗は生きている」と口にするたびに、その偽りの表情を幾度となく浮かべてきたに違いない。

 ならばこれほど悲しい笑いは無いだろう。

無理に笑わなくて良いから、どうか亜利紗ちゃんの死を認めて欲しい。

夢村は心の底からそう感じていた。

「お久しぶりです、宏平さん」

 夢村が静かに言う。

「それで…何か進展はありましたか?」

 宏平が遠慮がちに聞く。

「ええ。亜利紗ちゃんが見つかりました」

 そう言った瞬間、宏平の顔がかすかに強張(こわば)った。夢村は優しく微笑んで、指差しながら言う。

此処(ここ)に」

「…ここ?」

 宏平は夢村の指の先にある、自分の胸を見下ろした。

「ええ。其処です」

指を下ろしながら言う。

「亜利紗ちゃんは確かに其処に存在しています。だからこそ貴方は此処に来た。亜利紗ちゃんの存在があまりにも大きすぎて、耐えられなくなったからでしょう。…でもね、宏平さん」

 優しく、そして悲しげな笑みを浮かべてさらに続ける。

「もうそろそろ、事実を受け止めても良いのではないですか?それはとても辛いことかもしれません。

けれど、同じように亜利紗ちゃんも辛い思いをしているはずです。なにせ自分を愛してくれているがゆえの行動とはいえ、自分が最も慕っていた父が、自分の死を受け入れてくれないあまり、一度も会いに来てくれないのですから…」

 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。重々しい沈黙が続き、やがて宏平がゆっくりと口を開いた。

「どうして…そんなことを言うんですか?わたしはただ、亜利紗を探してくれと、そう言っただけだったのに…」

 宏平は涙を堪えるように歯を食いしばりながらも、声を絞り出すようにしてなんとかそう言った。

「そうです。僕は依頼通りに亜利紗ちゃんを探して、そして見つけたんです」

 夢村は静かに言った。

「亜利紗ちゃんは貴方の中にいます。これは確かです。だけど貴方は突然突きつけられた事実にどうして良いかが分からなくなり、がむしゃらに動いているうち、ついにどうしようもなくなってしまった。

 だから、今になってこんなところにまで足を運んできたんですよね?

 貴方は亜利紗ちゃんのことをとても大切に想っている。それは最近知り合ったばかりの僕にも十分わかりました。しかしそれゆえに、死という概念が随分と遠くに行ってしまった、いえ、実際はとても近くにあったのに、そんなものは知らないと払いのけてしまっていたのです。

宏平さん、貴方は自分がどうするべきなのか、ちゃんとわかっているはずです。そろそろ自分の心≠ノ正直になりましょう?亜利紗ちゃんのためにも、しっかりと真実と向き合ってください。亜利紗ちゃんもきっとそれを望んでいるはずです」

宏平は静かにそれを聞いていた。しかしまだ口を開こうとはしない。夢村は黙って宏平が話し出すのを待った。宏平は暫くうつむいて口をきつく閉じていたが、やがてその口を開いてゆっくりと言葉をつむぐ。

「きっと…一番辛い思いをしていたのは、亜利紗なんですよね…。

 突然命を奪われただけでもかわいそうだと言うのに、さらに私がそのことから逃げてしまって…その、今まで一度も、墓参りに行ってやっていないなんて…」

 宏平が、まだ複雑そうな顔をしながら言った。夢村も笑みと同情の混じった複雑な顔をする。

「…人と人の辛さは量れませんよ」

夢村がそっと言う。

「貴方も亜利紗ちゃんも同様に辛いんです。

 だけど貴方は親として、亜利紗ちゃんの為にもその辛さを乗り越えなくてはならない。そういうことでしょう?きっと亜利紗ちゃん、待っていると思います。だから親として、ちゃんと会いに行ってあげてください。

 そしてまた一人じゃ絶えられなくなるようなことがあれば、誰でも良い、誰かのところに行って貴方の辛さを緩和してもらってください。…僕でもかまいません。僕は大抵此処に居ますからね」

 なにせ暇人ですしね、と言ってにっと笑う。宏平もつられて唇の端を上げた。すっかり憑き物が落ちたようだった。

「そうですね…また何かあったときには、ぜひ貴方にお願いしたいです」

 

 

 

 暫く間をあけると、宏平の顔からは例の違和感が消え、以前じゃ想像できなかった爽やかな笑みさえ垣間見ることが出来た。

 宏平は深く頭を下げ、何度もお礼の言葉を述べた。そしてにっこりと意味ありげな笑みを浮かべ、そして一度は参考物品として預かり、先ほど返したはずの古い人形を差し出した。

「…なんですか?」

 探るような目つきで見上げた夢村が問う。

「貰ってください。だって、もともとの依頼内容はこの人形の持ち主を捜すことでしょう?だから、貰ってください」

「いやいや、だからって何で僕が…。というか依頼内容の趣旨が変わっている気がするのですが…」

 最初断ってみたものの、結局公平に押し負けて古びた人形は夢村が貰い受けることになってしまった。

夢村は宏平が帰ろうとした後ろ姿を呼び止めて、依頼を受けた当初から気になっていたことを質問した。

「探偵所なんて探せば世の中にはたくさんあるのに、どうしてうちなんかを選んだんですか?」

 夢村は実に不思議そうな、そして真面目な顔でそう言った。

「ここの探偵ともあろう方が、そんな言い方をすることは無いでしょう」

 宏平はさも可笑しそうに言う。それはそうだろう。普通なら自分の事務所に自信を持ち、宣伝をする位じゃないとやっていけないと思うのだが、この男、夢村はそんな様子を少しも見せず、それどころか何故うちになんか来たんだと質問をしてきたのだ。きっと宏平でなくても思わず笑ってしまうに違いない。

「そうですね…私はこの辺が地元で、小さい頃はここらにもよく入り込んで遊んでいたんですよ。だから探偵所があること自体は前々から知っていました」

 何か引っかかることでもあったのか、夢村が遠慮がちに口を挟んだ。

「よく…来ていた?」

「ええ。そうです。貴方のお父様、京助さんには色々とお世話になりました。

初めて此処に来た時は、ただ単に迷ってしまったと言うだけで本当に偶然に過ぎなかったのですが、京助さんのハーモニカに聞き惚れてしまって、その後は自分の意志で通うようになりました」

「父と知り合いだったんですか?」

 今度は半ば驚いたように言う。

「はい。いつも決まった時間に窓辺でハーモニカを吹き、その後には必ず私の相手をしてくださりました。貴方のことも知っています。貴方はその頃まだ五歳くらいの子供で、相当かわいらしかったんでしょうね、京助さんはいつも自慢をしていましたよ。でも…」

「―――僕が小学校に上がる頃、事故に巻き込まれ死んでしまった」

 夢村が言った。宏平が黙って首を縦に振る。

「…人づてに聞いて驚きました。貴方も何処か親戚の家に引き取られたという事でしたし、以来一度も此処へは訪れていませんでした」

「それなのに、どうしてまた?」

 夢村が急かすように言う。

「貴方が京助さんの子供だから、と言う訳ではありません。第一この探偵所が再開した事すら私は知りませんでした。ただ娘の面影を追い、さまよう日々を過ごしていたんです。

しかしそんな中、町で偶然貴方を見かけました。京助さんに瓜二つだったので初めは本人かと思いましたが、京助さんのはずがありません。外見からしてもずいぶん若く見えましたし、きっと以前親戚に引き取られていった京助さんの子供なのだろうと思いました。そして暫く見ていると細い小道に入っていったので、これはもう確実だと思いました。

けれど最初に言った通り、私は京助さんの子供だからと言う理由から、貴方を選んだわけではないのです。

お金が無くて月に一度しか買うことの出来ないたいやきを、猫にほとんどあげてしまう。そんな貴方を見て、依頼をしようと思ったんです」

「…そんな恥ずかしい場面を目撃して、それで此処に決めたんですか?」

 恥ずかしさ交じりに驚きながら言う。そんな夢村に宏平はきれいな笑顔を向けて、

「そんな場面を見たからこそ、決めたんです」

 さも当たり前のようにそう言った。夢村は頭を掻きながら言う。

「その理屈はよく分かりませんが…とにかく今日はありがとうございました。父の事はよく覚えていないですし、普段父のことを話してくれる人も少ないので、今日は宏平さんからその話が聞けて良かったです」

「いや、とんでもない。此方こそ、本当にありがとうございました。夢村さんのおかげでとてもすっきりしました。依頼した相手が貴方で良かったです」

「父から受け継いだ大切な仕事ですからね」

 にっこりと笑う。

「でも、それよりこの人形…本当に僕なんかが貰ってよろしいんですか?亜利紗ちゃんの大切な人形なんでしょう?」

 夢村は不安げに言うが宏平は、

「どうしても貴方に持っていて欲しいんです」

そう言って聞かなかった。そうして催促もしていないのに、後日お礼も兼ねて改めてたいやきを差し入れにきますと言って去っていった。

内心、たいやきという言葉にかなり心惹かれていて、今からすでに楽しみで仕方が無い。あの宏平のことだから、また袋いっぱいのたいやきを持ってきてくれるに違いないだろう。

―――そうしたら猫にわけに行ってやろう。―――

一瞬だけそんな考えが頭に浮かんだが、直ぐにかき消した。また猫にほとんどを食べられてしまうのがオチだからだ。

―――猫には今度安いパンでも持っていこう…。―――

夢村は机に置かれた人形をそっと見つめた。

「…男一人の探偵所にかわいらしい人形が置いてあるって、どうなんだろう」

 そう言いながらも大事そうに棚に置き、にっこりと笑いかける。開いた窓からは気持ちのよい風が流れ、カーテンが静かに揺れていた。夢村は窓に近づき、顔を半分ほど外に出して存分に風を受ける。いつもは狭苦しく感じる眼前の赤茶色の壁も今はそれほど窮屈に感じない。

「気持ちのいい風だね」

 語りかけるようにそう言った夢村の下方では、宏平が意気揚揚と大通りに向かって歩いていた。

 

 

 

終 わ り