桜の舞う頃
あの人は来るのだろうか。 ちゃんとここに、やって来るのだろうか…。 手元に握るのは一通の手紙。もう随分と古びていて、固く握り締めていたせいか随分よれてしまった。しかし黄色く変色したそれが、今私がここにいる理由そのものである。 手紙には一言。―――桜が舞う頃その下でお待ち下さい――― 傍から見たら嘘臭いことこの上ない文章。だけど私は信じている。 見覚えのある字。恐らくそれは、ずっと前に別れたあの人のもの。ずっと連絡が取れなくてあきらめかけた矢先にこれが届いた。昔と変わらないきれいな繋げ字。だから私は信じていた。このいかにも怪しい手紙の文面を。―――それも今年で終わりだけど――― だって、もう五年も経つ。五年も、待っている。でも、それも今年で終わり。もう信じないと決めたから。 だけど、信じている。信じていたい。 結果としてあの人は来なかった。桜の木は花びらを全て失い、儚くそこに立っていた。私はその桜を一瞥し、立ち去った。二度とここには来たくない。この手紙も、捨ててしまおう。―――だけど。 私にはどうしても出来なかった。その手紙を捨てる事が、出来なかった。「未練がまし…」 引き出しの奥の方に隠すようにしまいこんで、だらりとうなだれる。 今まで世界の中心にあったものが無くなって、急に何もする気が起きなくなった。私をつき動かすものはもう何もない。世界は一気に色あせた。 季節は流れに流れて冬が来た。静かに雪が降り積もり見慣れた町を埋めていく。「どうせならあの桜ごと埋まってしまえばいいのに」 そんな事を言ってみたものの、自分でばかばかしくなってその考えを払拭するかの様に足を早める。 家の前まで来ると一通の手紙が落ちていた。置いてあると言うよりは落ちている感じである。「…」 訝しげに拾い、中を覗く。「!!」 それは忘れもしない彼からだった。『待っています』 たった一言。 待っていますだなんて何を考えているのだろうか。待っていたのは私の方だ。待って、待って、待ち続けて。それで何度も裏切られた。何年待っても貴方は来なくて、私はずっと裏切られてた。 私は思わず桜の木の下へ駆け出そうとしたが、頭の中で理性が邪魔をした。 ―――本当に行くの?またいないかもしれないのに? 確かにいないかもしれない。傷つくだけかもしれない。だけど、だけど私は ―――信じたい。 そう、信じたいんだ。今度こそいるって。絶対会えるって。 「禾哉(かや)…?」 遠慮がちに呼び掛ける。白く雪に覆われた桜の木の下に彼はいた。彼はゆっくりと振りかえる。「遅くなってごめん」 遅すぎだ。だけど言葉が出て来ない。唯唯驚いて、唯唯嬉しくて。 彼はまた言った。「春は随分と過ぎてしまったけれど、ほら。雪が桜の花びらの代わりに舞ってるよ」 自分勝手な調子のよい言葉。だけど不思議と、本当にそう思えた。両手のひらを上に向け、落ちて来る雪を見つめる。それはゆっくりと手に落ちて来てジワリと溶けた。やがて目から落ちる水滴と混ざり合い、下に滑り落ちていく。「ありがとう」 私は手を顔に近付けて思わず呟いた。この冬の桜の花びらに。 END