ホワイト・イノセント

 

第二部

三.前途多難なスケルツォ

 

 

 

* * *

 

 

 「君、そんな所にいたら危ないよ」

「…」

「君だよ君、そこの猫を連れた幽霊少女」

「…見えるの?」

「当たり前だろう。ここをどこだと思っているんだい」

尾柄木(おがらき)神社」

 その辺のただお守りを売っているような神社とは違って、本当にお祓いや怨霊退治なんかもやっている、一部では割と有名な所。

「ここの人たちは幽霊を見たら相手構わず強制的に上に送っちゃうような奴らばかりだから、気を付けないと駄目だよ」

 二十五歳過ぎであろうか、黒髪のひょろりとした体系の男は佳菜依が蔵に無断で押し入ろうとしているのにも関わらず、穏やかな表情でそう言った。

「貴方はそうしないの?」

「僕かい?そうだね、僕はそう言うのあまり好きじゃないんだ。だってそんなのは理不尽だと思うだろう?」

 別に自分がそうされるわけではないのだろうに、彼はまるで自分のことのように言う。

「…貴方って、変わってる」

 そう言うと彼は「君には叶わないさ」と良くも知らない佳菜依にそう言って、緩やかに微笑んだ。

 彼は、佳菜依が幽霊になってから話をした二人目の人だった。

 

 

* * *

 

 

「幽霊も何かを食べたりするんだね」

 月明かりの下、尾柄木賢介(けんすけ)は先ほど現れた幽霊少女、佳菜依と縁側に腰を下ろしていた。

「味はしてるのかい?いや、嫌味とかじゃなくてさ」

 賢介は佳菜依の隣でおはぎを食べながら朗らかに言った。

 賢介は「尾柄木賢介」という名前からもわかる通り、尾柄木神社の次期当主になる予定の男である。そうでなくても仕事柄幽霊にはよく会うのだから、幽霊に味覚があるのかどうかは純粋に疑問に思った。

「舌の実体はないから……多分記憶で味をみてるんだと思う」

 しばらくして、佳菜依が賢介と同じく饅頭を口にしながら言った。

「記憶?」

「そう。以前食べたことがあるならその味の記憶。なければ本人が想像した味になるんじゃないかな。……わからないけど」

「へえ……。じゃあ、不味いおはぎしか食べたことのない幽霊はどんなにおいしいおはぎを出しても不味い味しかしないんだね」

「まあ、そういうことよね」

「でも食べた物はどこにいくんだい?」

「さあ……。消滅するのか、溶けて体の一部となるのか……いずれにしてもわたしの知る所じゃないわ。ただその作業は体に負担がかかるみたいで、あまり食べ過ぎると調子が悪くなってしまうの。……ということで、ごちそうさま」

 佳菜依は口の周りを軽く舐めて言った。

「軽く治めなきゃいけないんだね」

 賢介は空っぽになったお皿を見ながらにこやかな笑みで言った。

(三個も食べれば普通の人でも充分すぎるくらいだと思うんだけど)

 賢介は笑顔ながらにそんなことを思っていた。

 月を見ながらつまもうと思った夜食は、ほとんど佳菜依の物となっていた。

(まあ、それは良いんだけど)

 元々、四つもあるおはぎは小食である賢介には多すぎると思っていたところである。一つか二つくれと言ったのに、給仕のお姉さんが張り切ってたくさん作りすぎてしまったのだ。

(台所にまだ山のようにあるんだよね……おはぎ)

 台所で山のように積み重なった饅頭を思い出し、賢介は心の中で苦笑した。

(明日みんなに分けよう……)

「……それで、どうして蔵に入ろうとしたんだい?」

 賢介は、佳菜依と会った直後に言うべきであろう台詞をようやく口にした。散々関係のない話をした後のことだった。

「今更それを聞くの?」

 当然、佳菜依は驚いた。

「貴方ってびっくりするぐらいマイペースな人ね」

 佳菜依が呆れたように言う。

「そうかい?まあ良いじゃないか。どうせ今日だけの付き合いなんだから」

 賢介は、ははと笑った。

「それはそうだけど」

「で、どうしてなんだい?」

 賢介は若干不服そうにも見える佳菜依の顔を覗き込むようにして言った。

「巻物が……欲しかったの」

 佳菜依がぽつりと言う。賢介は蔵の中で見たであろう様々な巻物のことを頭に思い浮かべた。

「巻物?どの巻物だい?」

「…………怨霊」

「うん?」

「怨霊……退治の巻物……」

「それはまたどうして」

 賢介は特に驚く様子もなく穏やかに聞いた。

「どうしても……倒したい奴がいるの」

 佳菜依はスカートを握り締めながら言った。それを見て賢介が言う。

「あだ討ちかい」

「……」

「あだ討ちは止めておいたほうが良いと思うよ。下手にやれば君が傷つくだけじゃないか。……いくら相手が怨霊とは言ってもね」

 賢介がなだめるように言う。

「……でも」「でも、駄目なの。仕返しとかそう言うのは良くないってわかってるし、がそれを望まないのも知ってる。……だけど、駄目なの」

「……どうして?」

「わたしが、勝手に消化不良になっているだけかもしれない。……ううん、多分そう。わたしがそうしないと気がすまないの。わたしがその怨霊を倒そうって言うことで、彼を失った責任を全て怨霊のせいにしてしまってるのかもしれない。そうかもしれないけれど、それで楽をしようとしているだけなのかもしれないけれど、だけどそう思っていても動かずにはいられないの」

「別に、あだ討ちが楽な道だとは思わないよ」

 賢介は静かに言った。

「ただ、君は本当にそれで良いのかい?誰だかわからないけれど、その彼に望まれていないあだ討ちを自分のためにしようとするんだね?」

「うん。それをしても彼は戻ってもないことはわかってる。……いえ、本当はわかっていないのね。心のどこかで、ありえないことだとは思っても、彼が生きてることを望んでしまっているんだから。きっと、これは間違った、歪んだ想いなんだと思う。だけど、やめられないの」

 佳菜依は最後の方になると顔を上げ、賢介の顔をしっかりと見ながら言った。

「その人を、とても大切に思っていたんだね」

 賢介が慈しむように言う。佳菜依は静かに頷いた。

「……彼はね、わたしをここに引き止めた人なの。上に行く寸前だったわたしを、彼が引き止めた」

「そうなんだ」

「うん」

 佳菜依は遠くを眺めるように言った。賢介は立ち上がる。

「ついておいでよ」

「え?」

「巻物、見たいんだろう?」

「……見せてくれるの?」

 佳菜依は目を丸くした。蔵に入ろうとしたのがばれた以上、まさか見せてもらえるなんて思わなかったようだ。

「貰われたらさすがに困るけど、見せるくらいは困らないさ」

「……貴方って、変な人」

「あれ、さっきよりも格下げされちゃったかな?」

 笑って良いながら、蔵の鍵を開ける。

「うーんと」

 賢介は落ち着いた足取りで蔵の奥に入り、中のランプをつけてから巻物の束をあさり始めた。

「あった、あった。これだな、確か」

 賢介の手には確かに巻物が握られていた。佳菜依が若干不安げな表情を浮かべた。

「それを使って強制的に上に行かせるなんてことは……」

「いやー、やるならもっと早くにやってるから」

 にこやかに言う。

「ほら、ここに呪文があるだろう。二度と見せないからちゃんと覚えていってね」

「……変人」

「ついに一単語かい?それで、見るの?見ないの?」

「……見る」

 佳菜依が賢介の傍により、巻物を覗き込む。

「…………」

「…………」

「……読めない」

「あー……」

 賢介は頭に手をやった。自分が普通に読めるものだから、ついつい相手もそうだと思いこんでしまっていた。

「……まあ、古文だし仕方がないか。じゃあ今から読み上げるから良く聞いておいてね」

 賢介はそう言って頭にやっていた手を戻し、指を巻物に沿わせながら内容を音読し始める。

「……かけまくもかしこき かけまくもかしこき

 そのもの かのもの

たましい もろもろのまがごと つみ けがれ

あらんをばはらえたまいきよめたまえともうすことを

きこしめせとかしこみかしこみももうす……

で、最後に死霊滅却、で終わりと」

 賢介はそう言い終わってから巻物を丸め、もとあった場所に戻した。一度しか見せる気が無かったのは本当だ。

「……意味は?」

 佳菜依が聞いた。

「意味……?うーん、大体しか覚えてないけど確か……、

 申し上げるのも恐れ多いですが、そこにいる者やあそこにいる者の魂、全ての災いや罪、穢れを払い、そして清めてください。 と、お聞きになってくださることを、恐れ多いとはばかりながらもお願い申し上げます。

そんな意味だったと思うよ」

「随分へりくだった呪文なのね」

「まあ、相手は神様だしね」

 賢介は思わず笑いを零す。そんなことを言った人は初めてだった。

「ありがとう、助かったわ」

 そう言って去ろうとする佳菜依を賢介が引き止める。

「待ちなよ、せっかちに生きたって何の徳もないんだからさ」

「生きてないけど」

「元も子もないこと言わないで欲しいな……。まあ、とにかくちょっと待って、これを見てごらんよ」

 賢介は言いながら棚に置かれていたものを指差した。

「……変体」

「うん、間違ってはないと思うけど出来れば主語を入れてね」

「……棒」

「……うん、棒?どっちかって言うとステッキっぽいと思うけど……まあいいや。これに霊気が取り巻いてるのがわかるかい?」

「わからない」

「……そのうちわかるようになると思うよ。……で、とにかくこれにはきれいな霊気がまとっているんだ」

「うん」

「だから、多分怨霊を倒すのに役立つと思うんだよね」

 賢介は白くて閉じた傘のような変わった形の物を手にとって言った。

「弱い怨霊なら呪文だけで充分だと思うけど、強い怨霊ならこれを使って内側から破壊した方が手っ取り早い」

「見掛けによらず物騒な言い方をするのね」

「そうかい?」

 賢介はにっこりと笑う。

「まあでもこれには霊気がまとっているおかげで術も流し込みやすいと思うよ。ただ、本当に強い怨霊が出てきたら器のない君じゃ叶わないだろうから、生きて体のある人間に協力してもらわなきゃならないけれど」

「面倒なのね」

「しょうがないだろう。大体、死んだ人間が怨霊退治をすること自体が異様なんだから」

「そうね」

 佳菜依はくすりと笑う。

「でも、どうしてここまでしてくれるの?」

 佳菜依は首をかしげた。初めて会った、しかも幽霊に対してここまで親切にしてくれる人はいないだろう。

「君は妹に似ているから」

 賢介は端的に言った。佳菜依が問い返す。

「妹に?」

「そう。病弱だから田舎で養生しているんだけれど、雰囲気が君に似てたんだ」

 賢介が少し切なそうに言った。そしてその後、取り繕うように「さ、気をつけて行きなよ」と佳菜依の背中を軽く押す。

「もう二度と合わないことを祈ってる」

 賢介はゆっくりと言った。

賢介の職務は幽霊を上に導くこと。怨霊を退治すること。

 そして佳菜依は幽霊。お互いに、自ら会おうという意志はない。だから次に会うことがあったとしたら、もし会わなければならない状況が生まれるとするならば、きっと。

「……そうね」

 佳菜依が感慨深く頷いた。

「でも、もしわたしが怨霊になったら…………」

「ん?」

 上手く言葉が聞き取れなかった賢介が、不思議そうに聞き返す。

「……なんでもないわ。さようなら」

 佳菜依は言った。

「ありがとう」

 佳菜依はステッキを握り締め、蔵を出る。

「さようなら」

 賢介は一瞬、何だか切なそうな顔をして、佳菜依の背中を見送った。

 

 

       * *

 

 

 佳菜依が幽霊になって、卓也と出会い、別れ、そして卓也を奪った怨霊に復讐することを決めて尾柄木神社に忍び込んでから少しした頃だった。

 ちりん。

 不意に音が聞こえた。

「…鈴?」

 涼しげに鳴ったのは灰色の猫、ワン子に付いた鈴だった。

「風が吹いても鳴ったことがなかったのに…」

 佳菜依は不思議に思い、首をかしげた。

「にゃあ」

 猫は鳴き声を上げ、突然駆け出した。

「ま、待ってよ」

 佳菜依が慌てて追いかける。

「にゃー」

 暫く進むと猫が唐突に立ち止まった。

 立ち止まった先には十歳くらいの小さな少女がいて、その近くには黒いランドセルを背負った八歳くらいの少年が立っていた。

「あれって…」

 心臓がどくんと脈打った。

 あれは、怨霊?

 少年からはあからさまに嫌なオーラが流れ出ていて、なんだか気持ちが悪い。

 怨霊。わたしが、探しているもの。

 だけどあれは、探しているものじゃない。違う、怨霊。

「わたしには関係ないよ…」

 佳菜依は呟いた。猫は黙って佳菜依の顔を見上げている。

「関係ない…」

 そう、関係ない。だから、だから早く探しものを見つけに行かないと。

 時間が、ないんだから。

 それなのに、そのはずなのに、何故だか目の前の少女と卓也の顔が重なって見えた。

 全然どこも似ていないのに。

 蘇る、あの日の記憶。

 伸ばしても、伸ばしても決して届かなかった卓也の手。落ちて行きながらも浮かべていたきれいな笑顔。

 次いで思い出すのは自分の愚かさ。無力な自分。

「何で…」

 気が付くと佳菜依は前に飛び出していた。

 佳菜依は少女と少年の間に、立っていた。

「わたしは、何がしたいの…?」

 少女に彼をダブらせて。

 少年にあの日の怨霊をダブらせて。

「わたしは一体何がしたいの?」

 問い掛けても答えは出ない。わたし自身の問題だから。

「わからない」

 わからない。自分の思考が、動作が、全く理解できなかった。

 白いステッキを突き刺す。

 呪文を唱える。

「わたしは…」

 あの時こんな力があれば。

 怨霊を倒す方法を知っていれば。

「わたしは、彼を助けられたの…?」

 とうに過ぎ去った過去の日を、いくら問いただそうとも答えは出ない。

 結局は、終わったことで。

 自分が無力で無知だったから今ここにこうしている訳で。

 結局は、戯言にしか過ぎない。狂言じみた夢物語。すべてはこうあれば良いと言うただの妄想。

「ちがう……」

 違うんだ。

 ……わたしは、

 わたしは。

「卓也じゃなくて…………」

 わたしだった。

 あの少女はわたし。

 きっと、少女にダブらせていたのは自分自身。

弱くて、逃げるしか出来なかった小さなわたし。

怨霊を前に何も出来ずに立ちすくんでいた無力なわたし。

 あの日の自分が、目の前にいた。

 だからわたしは、自分を助けた。

 今のわたしは、あの日のわたしを救いたかった。

 救おうとした。

 けれど、結局は救えない。

 わたしは未だ、救われない。

「わたしは、何がしたいの?」

 佳菜依はもう一度呟いた。

 しかし誰も答えるはずのないその問いは、風に流れてどこか遠くへ消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四.軽快すぎるカンツォーナ

 

 

* * *

 

 

「ああ、もう貸せよ!」

 緑がかった髪色の男は、佳菜依の手から白いステッキをひったくった。

「何をするの!」

「あいつを倒すに決まってんだろ!」

「霊力の無いあなたには無理よ!」

「やってみなきゃわかんねえだろ?!俺はあんたみたいに簡単にあきらめるのは嫌なんだよ!」

 男は持っていたステッキを目の前の巨大な物体に思いっきり突き刺した。

「ああ、もう……」

 佳菜依は言い合っていても埒があかないと感じ、男の手に自分の手を重ねてステッキを握り締めた。

「これで駄目だったら諦めてもらうからね」

「そしたら死ぬだけだろ?そんなのごめんだな」

 男は恐れを隠すように強気に笑って見せた。佳菜依は呆れるのと同時に、少しだけ格好いいなと思ってしまった。

「しっかりつかんでてよね」

「まかせとけ」

 男は前を見据え、力強くそう言った。

 

 

* * *

 

 

「だから、貴方は怨霊に追われてるの!」

 佳菜依はイライラと言った。

「だから、あからさまに胡散臭い勧誘にはひっかからねえから、さっさとどっか行けって言ってんだろ!殴り飛ばされてーのか、このアマ」

 対する三十ほどの男も、佳菜依以上にイラついた様子で叫んでいる。

「簡単に信じてくれないのは別にいいけど、そんな頭ごなしに怒ること無いでしょう」

「お前がさっさとどっかに行かねえからだろが」

「いいわ。お望み通りどこかへ行ってあげる。その代わりどうなっても知らないから」

「はん、言ってろ」

 男がずかずかと去っていき、佳菜依は大きくため息をついた。

「わたしはまたしばらく姿消してるから」

 足元を見て言うと、そこにいた猫がにゃあと返事をする。

「一応、見張っとかないと」

 今回は大変気が乗らないが、このまま見過ごすと言うわけにも行かない。

「当初の予定じゃ、こんな人助けするつもりじゃなかったのにな」

 佳菜依は呟いた。尾柄木神社を出てからは、何となく人助けというか、ただの怨霊退治と言うのか、とにかくそんなことを繰り返していた。

 自分の視覚や聴覚や嗅覚や触覚、それから味覚は微妙だけれど、とにかく自分の五感、あるいは六感で感じ取れないものを中々信じられないのはわかる。でも、あからさまに拒絶されると、佳菜依だって嫌になる。

「はあ。疲れちゃうな」

 自分たちみたいな存在をあっさり信じる人がいたらいたで戸惑ってしまうけれど。

 佳菜依は思わずため息をつく。

「ああ、でも」

 いたなあ、そんな変わり者。

 佳菜依は大またで道を歩く男をぼんやりと眺めながら思った。

 彼とは初対面なうえ、自分は幽霊だっていうのに自分の話をすんなり理解して、どれだけ強靭な心の持ち主かと思ったのに、彼は何故かとても弱虫で、でも不思議ととても強い人だった。

 

「貴方はね、怨霊に狙われているの」

 話し掛けた相手である十歳くらいの男の子は、突然目の前に現れた佳菜依をしげしげと見つめていた。男の子はとてもやせていて、肌は真っ白な絵の具を塗りつけたような色をしていた。その男の子が驚いたのは一瞬だった。

「そうなんだ」

 ちょっとの間を空け、男の子は何でもないように笑顔で言った。

「……わたしの言った意味、わかってる?」

 言った事を受け入れてもらえたはずなのに、佳菜依は何故だかとても不安になって、もう一度はっきりと男の子に告げた。

「貴方は、悪い霊に、追われているの」

「わかってるよ。子供だからって、馬鹿にしないで欲しいな」

 男の子は少しだけ気分を害したようだった。

「……ごめん」

 佳菜依が思わず謝ると、男の子は満足したらしく、また笑顔になって言った。

「僕は川島隆太。お姉ちゃんは?」

「門宮佳菜依」

「初めまして。……君は何ていう名前なの?」

 隆太は足元の猫にまで笑顔を向けていった。猫は答えるように声をあげるが、もちろん何を言っているかわからないので、佳菜依が返答する。

「ワン子」

「へえ。素敵な名前」

 隆太が楽しそうに言い、猫の首元をなでる。

 ……素敵な名前?

 佳菜依が首を傾げるが、隆太は全く気がついていないようだった。

「きっとご飯いっぱい食べるんじゃない?だからワン子って付けたんでしょう」

 隆太が言う。だけどそれは佳菜依の知る所ではない。

「確かにご飯はいっぱい食べるけど……それでどうしてワン子に繋がるの?」

「何でって……わんこ蕎麦みたいに凄いスピードで次から次へとご飯を食べるから、ワン子なんじゃないの?」

「ああ!」

 佳菜依が納得の言った表情をする。

「確かにわんこ蕎麦に近いかも。ワン子って何でか一週間に一回ぐらいしかご飯を食べないんだけれど、その分物凄いがっつくの」

「あれ?この子、お姉ちゃんの猫じゃないの?」

 全くかみ合わない話をする佳菜依に対し、隆太が疑問を抱いて聞いた。

「うん。……預かってるの」

 佳菜依は何となく、もらった、とは言えなかった。そもそも、あげる、だなんて一言も言われていないのだけれど。

「そうなんだ」

「うん。あ、言うの忘れていたけれど、わたしは幽霊。こっちのワン子は霊力のある普通の猫ね」

「この子霊力あるんだ、凄いね」

「わたしの話は無視なんだ……」

「大丈夫、聞いてるよ。幽霊なんでしょ。というかそれだけ物騒な物持っていて、普通の人間だって言われた方がビックリしちゃうし」

 隆太は佳菜依の持つ歪な形のステッキを指して言った。

「え、あ、うん。……そうかな?」

 隆太があまりに自然な笑顔で言うので、佳菜依は驚いてしまう。本当に理解しているんだろうか。そんな疑いが頭をよぎる。

「ねえ。……隆太はさ、幽霊、見たことあるの?」

 もしそうだとしたらこの落ち着きも納得がいく。しかし、隆太は少しの間も空けずに言った。

「そんなのあるわけないじゃん」

「え?」

「そもそも普通の人間が幽霊に会うような出来事なんて、早々起こらないんじゃない?霊力でもあれば別かもしれないけれど」

「うん、まあそうね」

 隆太と話していると、どうもペースが狂ってしまう。霊力もなくて幽霊も見たことがなくて、それでもこうして目の前の非日常的な現実をあっさり受け入れてしまう。隆太はとんでもない人物だと、佳菜依の中に記憶された。

 でも、彼も人間だったのだ。普通の、ちっぽけな幼い男の子だったのだ。

 

「き、来た……!!」

 佳菜依は、隆太は怨霊を前にしても平然としているんだろうと思っていた。自分に見せた笑顔を絶やさずに、にこやかに事が終わるまで傍にいるんだろうと思っていた。でも、それは違った。

「目を瞑っていて、すぐに終わらせるから!!」

 佳菜依は必死になって叫んだ。

 まさかこんな風になるなんて。

 隆太は明らかに怯えていた。怨霊を前にした途端、顔を青ざめ、体をがたがたと振るわせた。彼がきしゃな体を折りたたんでいるものだから、凄く小さく、弱く見える。

 (ううん。弱かったんだ。始めから。それなのに、わたしが勝手に強いと思い込んでいただけなんだ。)

 これでは、隆太の心のうちに一生消す事の出来ないトラウマを作ってしまう。早く終わらせなけらばならない。

 佳菜依は必死になってステッキを突き出した。

掛けまくも(かしこ)き 掛けまくも(かしこ)き……

 ステッキを必死で押さえながら、呪文を唱える。

「ぐ、うううう……」

目の前の怨霊が苦しそうにもがき始めた。佳菜依はステッキを握った手に更に力を入れる。途中で放してしまえば、元の木阿弥だ。

死霊滅却!!

佳菜依はあらん限りの大声で叫び、すると怨霊はようやく消えていった。

「お、終わった……」

 佳菜依はかなりの疲労感に襲われた。地面にぐったりと座り込む。

「大丈夫?!」

 いつの間にか普段の勢いを取り戻したらしい隆太が慌てて駆け寄ってくる。まだ顔は青いが気分は落ち着いたようだった。

 隆太は佳菜依を支えようと手を出すが、その手はするりと佳菜依の体を通り抜けてしまう。

「ああ、そっか。幽霊だから触れないのか」

 隆太が困ったように言った。

「ごめん、わたしが意識してなかったから」

 佳菜依がそう言った直後、隆太の手が佳菜依の体に触れられるようになる。

「え、良いよ、わざわざそんなことしなくて!」

 隆太が慌てて言って、手を離す。

「力使うんでしょ?お姉ちゃんがぐったりしてるのに、僕に気を使わないで欲しいよ」

「……ごめん」

「うん。許してあげる」

 隆太は満足そうに言った。

「……わたしのことは怖くないの?」

「どうして?」

 隆太が首を傾げる。

「さっきの怨霊もわたしも、同じ幽霊だから」

「お姉ちゃんは悪い幽霊じゃないじゃん」

「でも、このままだと、わたしもいずれはああなるわ」

「でも、今は違うよ」

 隆太ははっきりと言った。

「なったら怖いかもしれないけどさ、今は違うんだし。よくわからない先のことを今につなげて怖がる必要なんてないしさ」

「……」

「そもそも怖いお姉ちゃんなんて想像できないしね」

 隆太は笑って言った。

「……そういえば、さっきの怨霊、トラウマになったりしない?」

「さっきの?もうわすれちゃったよ。どんなんだったっけ?」

 隆太が笑いながら言う。表情を見る限り、完全に吹っ切れているように見える。

「意識していなくてもトラウマになっていることもあるから……」

「あるから?」

「……なんでもない」

「だろうね」

 隆太はやはり笑って言った。

 佳菜依は「気をつけて」。そう言おうとしたが、そう言ったってそれは言葉だけのもので、意識しなくてもトラウマになるものはなるのだから、結局は何も気をつけようがない。どうせ言うならば怨霊に出会う前が妥当だったのだろうが、それはもう遅いのだ。

「隆太は強いね」

「強がってるだけだよ」

 隆太は笑いながらそう言った。

 確かに強がっているだけだったのかもしれない。佳菜依にはそれを見極める事は出来なかったから、真実はわからない。……でも。

「隆太は強いよ」

 佳菜依は心の底からそう思ったのだった。

 

「にゃーーー!!」

 急に猫の鳴き声が聞こえ、遠のいていた佳菜依の意識が覚醒する。

「何?……って、怨霊!ああ、全然見てなかった!!」

「にゃー」

「わかってる!今行くからっ」

 猫に声を張り上げ、怨霊の元へと駆け出す。

「本当は乗り気じゃないんだけど」

 そう言いながらステッキを怨霊に向かって思いっ切り突き出した。

掛けまくも(かしこ)き 掛けまくも(かしこ)き……

 怨霊を鋭く見据え、力いっぱい声を張る。

死霊滅却!!

 佳菜依の言葉と同時に怨霊が掻き消える。

「お前、さっきの!!」

 三十ほどの男が佳菜依の再登場に驚いて言った。

「そうよ。これでわたしの話を信じたでしょう?」

 佳菜依は男を振り返り、にっこりと強気の笑みを浮かべて言った。

 

 

* * *

 

 

「……倒せた」

 佳菜依が気の抜けた声を出す。

「ほらみろ、やりゃあ出来るんだよ。簡単に諦めるから出来ないんだ」

 緑がかった髪の男が、ほれ見たことかと胸を張って言った。

「本当にそうね。ありがとう。貴方のおかげで助かったわ」

「別に御礼言われる覚えはねえよ。俺は自分の命を救うためにやったんだからな」

 そう言って大きく口を開けて笑って見せる。

「じゃあ、ごめんなさい」

 佳菜依は言った。

「貴方の命を簡単に諦めてしまって、ごめんなさい」

 男は多少驚いた顔をしたものの、にっ、と笑って言った。

「おう。その言葉は受け取っとくぜ。今度からは簡単に諦めたりすんじゃねえぞ」

「うん。ありがとう」

「だから……」

「貴方のおかげで闘い方が少しわかったの。その分よ」

 不平を口にしようとした男の言葉をさえぎり、佳菜依がにっこりと笑う。以前尾柄木賢介が「本当に強い怨霊が出てきたら器のない君じゃ叶わないだろうから、生きて体のある人間に協力してもらわなきゃならないけれど」なんて言っていたことを思い出した。つまりは、こういうことだったのだ。

 器のない自分では、小さな霊力をただ打ち込むだけだが、器のある人間を介せば佳菜依の霊力を一定値まで溜め込むことが出来、そしてその溜め込んだ霊力を一気に打ち出すことが出来るのだ。鉄砲と大砲ぐらいの差はあるかもしれない。

「わけわかんねえよ」

 男は御礼を言われなれていないのか、微妙な表情をしながら頭を掻いていた。佳菜依はそれがおかしくて、思わず笑いを零してしまう。

「ありがとう。ありがとう。ありがとう」

 そうやって勝手に言い残し、佳菜依は姿を消す。

「あんた馬鹿にして……!!」

 男が文句を言おうとしたときには、もう既に佳菜依の姿は消えていた。

「……はあ」

 男がため息をつく。

「俺はお前に文句を言うのを諦めた」

 わざとらしくそう言って去っていく男をそっと見つめ、佳菜依はまたも笑いを零していた。姿も声も男には届かない。いや、届かせないようにしている。けれど佳菜依は敢えて言った。

「馬鹿にしてなんかないよ。……ありがとう」

 諦めずに頑張ろうと思う。いろいろなことを。いろいろなものを。

 だから、ありがとう。

 

 

 

I REMEMBER EVERYTHING

今まで出会った全ての人にありがとう。あなたのことは忘れない。

 

 

ホワイト・イノセント 第

前途多難なスケルツォ

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